実家の犬が亡くなった。
明朝には火葬で、現実を前に眠れなくなりこれを書いている。
1ヶ月後の誕生日を迎えれば15歳で、ちょうど1年前に病気をしていた。それからずっと、注射にも苦い薬にも耐えて、すごく頑張ってくれた。それなのに私は、生きているうちに駆けつけることができなかった。
前回会ったのは8月の末だった。その頃はまだ元気で、ソファで一緒に寝たり、撫で回したり、いつものように過ごした。
今住むところと実家は離れていて、そう頻繁には帰ることができない(と、思い込んでいた)。次はお正月に会おうね、と撫でて別れた。
それが最後だった。
体調に波があることは聞いていたのに、どうしてずっとそこにいてくれると思い込んでいたのだろう。年を越せると愚かにも信じていたのだろう。私は馬鹿なやつだった。
冬の北海道は底から冷える。死んだと聞いてすぐ飛行機を手配できたのだから、こんな寒くなる前に、秋のうちに飛行機でもなんでも取って会いにくればよかった。
遅くなって本当にごめんね。
彼女は家族のことが大好きだった。父にも母にも妹にも、家に帰ってくれば全力のお出迎えをしていた。私たちはさっさとコートと黒い服を脱いで(毛が目立つので)、彼女が満足するまでいっぱい撫でた。
休日にはソファに集まって、家族一緒になって昼寝した。彼女はクッションが好きで、よく顎をクッションに乗せて寝ていた。クッションは誰かの膝であることもあった。居心地のいいところを見つければ、ぐぅと喉を鳴らした。
実家を出てから初めて帰省したとき。それほど家を空けるのは家族で私が初めてだった。だから抱えた「覚えてくれているかな」という不安を、彼女はぶんぶん尻尾を振って吹き飛ばしてくれた。本当に嬉しかったのを覚えている。
それから、帰省するたびに玄関で待ち構えてくれていた。どこに座ってもそばにいてくれた。手を添えればあたたかかった。とても、とても愛情深い子だった。 まっすぐに愛してくれる彼女がいつも眩しかった。
今日はその出迎えもない。リビングでこちらを見つめる瞳もない。駆け寄るときの、爪がフローリングを掻くチャキチャキした足音もない。服に彼女の毛がつかない。
彼女がこの家にいるのは当たり前だった。
もういない、ということを、まだ受け入れられない。
食べることがいっとう好きだった。いっぱい食べることに全身全霊を注いでいて、朝夜2回のご飯はまっしぐらだった。早食い防止の器が必要なくらいだった。 本当は食べさせてはいけないのだけれど、ホットケーキが大好物で、キッチンから匂いがすれば貰えるまで足元でぐるぐるしてはおこぼれを狙っていた。年に1回、誕生日にあげる犬用のケーキは、ハッピーバースデーを歌っているあいだ待ちきれないみたいに鳴いて鳴いて、歌い終わればぱくぱくぱくで食べ終わっていた。
散歩も大好きで、「散歩いくよ」と声をかければ部屋のなかをバタバタ走り回って喜びまくった。私と彼女、ふたりで散歩にゆくこともたくさんあった。
人見知りでビビりで、若い頃は散歩中にすれ違うヒトにも犬にもゔーーーと唸っていた。近寄られれば吠えることもあって、どうにかこうにか吠えさせないための立ち回りが上手くなった。ここ数年はそんなこともなくなって、大人になったなあと思っていた。
眠ることも好きだった。たくさん遊んだあとは足を投げ出して無防備に眠っていた。私はそのお腹をバレないように撫でるのが好きだった。犬も眠るときは腹式呼吸で、お腹の下あたりが膨らむことを彼女から知った。日当たりのいいフローリングで、淡い色の毛をキラキラさせながらすぅすぅ息をしていた。
帰るのがとても遅くなったのに、何日も待たせたのに、彼女は体も顔もとてもきれいだった。眠っているようにしか見えない。母がよく冷やして世話をしてくれたおかげであり、彼女がなお頑張ってくれたおかげだ。
呼べば起きるのではないかと思うほどだった。呼べば起きないことを知るだけなのはわかっていて、撫でながら名前を呼んだ。耳の後ろの、滑らかな毛の触り心地はそのままだった。
少し高い声で呼んだとき、耳をぴくっとさせて振り向いてくれるのが嬉しかった。耳を撫でると、気持ちよさそうに目を細めるのが可愛かった。そのぜんぶが好きだ。
シーツを替えるときに抱かせてもらった。少し軽くなってしまったようだけれど、それでもずっしりとした、知っている重みだった。実家は集合住宅で、敷地内に犬を歩かせてはいけなかったから、散歩のときは抱っこで連れ出していた。
このからだも明日、この世から永遠に失われる。それがたまらなくさみしい。
◯
虹の橋と呼ばれる散文詩がある。
天国と地球を結ぶ橋で、愛されて死んだペットはそのふもとで、飢えも苦しみもなく幸せに暮らしながらも、唯一の心残りである飼い主たちを待っているという内容だ。
信じるにはものすごく飼い主本位な話で、正直申し訳なくなる。私が死ぬにはまだまだかかるだろうし、順当であれば父母と先に登るかもしれない。長くなるからそのほうがいい。なのに、みんなが揃うまで待っててくれるかもしれないと、考えてしまう自分がいる。それまで病気のないからだで芝生を駆けて、食べたいものを好きなだけ、それこそホットケーキとかビーフジャーキーとか食べてくれていたらいいのに。そう考えるのも勝手な気はしている。だって彼女は人見知りだから、ほかの子と遊べず独りかもしれない。
でも、また性懲りもなく待たせてしまっているかもしれないから、私は必ずそこに辿り着かなければならないなと思う。待っててくれているかもしれないから、その可能性があるから、実はいなかったとしても、辿り着かなきゃいけない。
虹の橋のふもとに至るには、三途の川を渡り裁判を乗り越えなければいけないだろうなぁと想像する。ならば、荒れる川を渡りきり天国への判決をもぎ取れるような生き方をしなくちゃ、と思う。そして、彼女のようにたくさん食べてたくさん寝て、たくさん歩いて過ごそうと思う。彼女が好きだったことをなぞって、忘れないでいたい。
動画のなかの彼女が、帰ってきた私に飛びついている。3年前の姿だ。きっとこんなふうに、何年経っても覚えていてくれると思う。妄想だとしても。
その約束に至るまで、私は生活を続ける。そうして最期をただしく迎えた日には、飛びついてくる彼女をめいいっぱいに撫でたい。