約束の橋に至るまで
実家の犬が亡くなった。
明朝には火葬で、現実を前に眠れなくなりこれを書いている。
1ヶ月後の誕生日を迎えれば15歳で、ちょうど1年前に病気をしていた。それからずっと、注射にも苦い薬にも耐えて、すごく頑張ってくれた。それなのに私は、生きているうちに駆けつけることができなかった。
前回会ったのは8月の末だった。その頃はまだ元気で、ソファで一緒に寝たり、撫で回したり、いつものように過ごした。
今住むところと実家は離れていて、そう頻繁には帰ることができない(と、思い込んでいた)。次はお正月に会おうね、と撫でて別れた。
それが最後だった。
体調に波があることは聞いていたのに、どうしてずっとそこにいてくれると思い込んでいたのだろう。年を越せると愚かにも信じていたのだろう。私は馬鹿なやつだった。
冬の北海道は底から冷える。死んだと聞いてすぐ飛行機を手配できたのだから、こんな寒くなる前に、秋のうちに飛行機でもなんでも取って会いにくればよかった。
遅くなって本当にごめんね。
彼女は家族のことが大好きだった。父にも母にも妹にも、家に帰ってくれば全力のお出迎えをしていた。私たちはさっさとコートと黒い服を脱いで(毛が目立つので)、彼女が満足するまでいっぱい撫でた。
休日にはソファに集まって、家族一緒になって昼寝した。彼女はクッションが好きで、よく顎をクッションに乗せて寝ていた。クッションは誰かの膝であることもあった。居心地のいいところを見つければ、ぐぅと喉を鳴らした。
実家を出てから初めて帰省したとき。それほど家を空けるのは家族で私が初めてだった。だから抱えた「覚えてくれているかな」という不安を、彼女はぶんぶん尻尾を振って吹き飛ばしてくれた。本当に嬉しかったのを覚えている。
それから、帰省するたびに玄関で待ち構えてくれていた。どこに座ってもそばにいてくれた。手を添えればあたたかかった。とても、とても愛情深い子だった。 まっすぐに愛してくれる彼女がいつも眩しかった。
今日はその出迎えもない。リビングでこちらを見つめる瞳もない。駆け寄るときの、爪がフローリングを掻くチャキチャキした足音もない。服に彼女の毛がつかない。
彼女がこの家にいるのは当たり前だった。
もういない、ということを、まだ受け入れられない。
食べることがいっとう好きだった。いっぱい食べることに全身全霊を注いでいて、朝夜2回のご飯はまっしぐらだった。早食い防止の器が必要なくらいだった。 本当は食べさせてはいけないのだけれど、ホットケーキが大好物で、キッチンから匂いがすれば貰えるまで足元でぐるぐるしてはおこぼれを狙っていた。年に1回、誕生日にあげる犬用のケーキは、ハッピーバースデーを歌っているあいだ待ちきれないみたいに鳴いて鳴いて、歌い終わればぱくぱくぱくで食べ終わっていた。
散歩も大好きで、「散歩いくよ」と声をかければ部屋のなかをバタバタ走り回って喜びまくった。私と彼女、ふたりで散歩にゆくこともたくさんあった。
人見知りでビビりで、若い頃は散歩中にすれ違うヒトにも犬にもゔーーーと唸っていた。近寄られれば吠えることもあって、どうにかこうにか吠えさせないための立ち回りが上手くなった。ここ数年はそんなこともなくなって、大人になったなあと思っていた。
眠ることも好きだった。たくさん遊んだあとは足を投げ出して無防備に眠っていた。私はそのお腹をバレないように撫でるのが好きだった。犬も眠るときは腹式呼吸で、お腹の下あたりが膨らむことを彼女から知った。日当たりのいいフローリングで、淡い色の毛をキラキラさせながらすぅすぅ息をしていた。
帰るのがとても遅くなったのに、何日も待たせたのに、彼女は体も顔もとてもきれいだった。眠っているようにしか見えない。母がよく冷やして世話をしてくれたおかげであり、彼女がなお頑張ってくれたおかげだ。
呼べば起きるのではないかと思うほどだった。呼べば起きないことを知るだけなのはわかっていて、撫でながら名前を呼んだ。耳の後ろの、滑らかな毛の触り心地はそのままだった。
少し高い声で呼んだとき、耳をぴくっとさせて振り向いてくれるのが嬉しかった。耳を撫でると、気持ちよさそうに目を細めるのが可愛かった。そのぜんぶが好きだ。
シーツを替えるときに抱かせてもらった。少し軽くなってしまったようだけれど、それでもずっしりとした、知っている重みだった。実家は集合住宅で、敷地内に犬を歩かせてはいけなかったから、散歩のときは抱っこで連れ出していた。
このからだも明日、この世から永遠に失われる。それがたまらなくさみしい。
◯
虹の橋と呼ばれる散文詩がある。
天国と地球を結ぶ橋で、愛されて死んだペットはそのふもとで、飢えも苦しみもなく幸せに暮らしながらも、唯一の心残りである飼い主たちを待っているという内容だ。
信じるにはものすごく飼い主本位な話で、正直申し訳なくなる。私が死ぬにはまだまだかかるだろうし、順当であれば父母と先に登るかもしれない。長くなるからそのほうがいい。なのに、みんなが揃うまで待っててくれるかもしれないと、考えてしまう自分がいる。それまで病気のないからだで芝生を駆けて、食べたいものを好きなだけ、それこそホットケーキとかビーフジャーキーとか食べてくれていたらいいのに。そう考えるのも勝手な気はしている。だって彼女は人見知りだから、ほかの子と遊べず独りかもしれない。
でも、また性懲りもなく待たせてしまっているかもしれないから、私は必ずそこに辿り着かなければならないなと思う。待っててくれているかもしれないから、その可能性があるから、実はいなかったとしても、辿り着かなきゃいけない。
虹の橋のふもとに至るには、三途の川を渡り裁判を乗り越えなければいけないだろうなぁと想像する。ならば、荒れる川を渡りきり天国への判決をもぎ取れるような生き方をしなくちゃ、と思う。そして、彼女のようにたくさん食べてたくさん寝て、たくさん歩いて過ごそうと思う。彼女が好きだったことをなぞって、忘れないでいたい。
動画のなかの彼女が、帰ってきた私に飛びついている。3年前の姿だ。きっとこんなふうに、何年経っても覚えていてくれると思う。妄想だとしても。
その約束に至るまで、私は生活を続ける。そうして最期をただしく迎えた日には、飛びついてくる彼女をめいいっぱいに撫でたい。
旅のあと
旅に出ていた、という錯覚に落下している。実際に旅をしていたのは友人で、私が見て回ったのは今住み着いている東京と周辺そのものであって、しかし錯覚でなく旅だったのではないか、と感じる今朝だ。旅の感触が今乗る中央線に色濃く残っている。
月曜日締め切りの仕事のためにぎりぎりまで残業をし、金曜の夜20時に東京駅で待ち合わせをした。お互いしっかりごはんを食べる気が起きなかったから、まさしく東京駅で売っているような豪華なケーキを買った。幕張まで京葉線に揺られ、舞浜を通り過ぎるのが不思議で、旅割で賑わうホテルのチェックインには40分がかかった。ケーキの箱をお皿にプラスチックの小さなフォークでケーキを食べた。広い温泉に浸かった。疲れたね、と言いながらも、笑い合って眠った。朝起きて、温泉に執着のある私は朝風呂に行き、彼女はギリギリまで寝ていた。メッセは目の前で、待機列でヒロステの速報に泣き崩れ、ブースを回ってフィギュアやおもちゃや原画やパネルを見てはしゃいで、飛ばしすぎたとベンチで座りながらコスプレの人たちを眺めた。ぽちぽち頑張ったけれどステージの先着に負けて、仕方ないからイオンモールで配信を観て良いお寿司を食べた。蔦屋書店を見て回って本を買い、電車を2時間乗り継いで家に帰り、サークルチェックをしてから眠った。朝ごはんには、昨日の倉敷珈琲のメニューを真似した、ツナとキャベツとチーズのホットサンドを作って食べた。ビックサイトは今回も神々しくて、たくさんの創作物は輝いていて、印刷所さんの装丁オタクぶりに触れて、本を買えたと嬉しそうな友人が私にも嬉しくて、とても楽しかった。帰りに定食を食べ、お気に入りの店で美味しいケーキを買って帰り、家でヒロステを見た。それから鎌倉殿の最終回を見届け、最寄り駅まで彼女を見送った。あっという間だった。
生活圏を軸にした旅だった。だからこそ、この電車に乗りながらあの場所に行ったな、あんな話をしたな、ということを、きっとしばらくは毎日思い出すだろうし、毎日思い出すことがなくなっても、折に触れて思い出す。それはとても幸福なことだと思う。旅のあとの街は、ほんの少しだけあかるい。

8月月報:映画、近況編。
というわけでまずは映画。
今月全然観てない〜って思ってたけど映画館では4本観てたしうち1本はおかわりもしてました。相変わらずの本数。
1本目。

ヨルシカが主題歌なんだ〜って軽い気持ちで観に行ったらブッ刺さっておしまいになった映画。8月2回観ました。
眠ればその日の記憶を失ってしまう、現実にある疾患、前向性健忘を患う日野真織と、あるひみつを持つ神谷透が織りなす神々しいまでに無垢な愛と、そのふたりをただ人間の身で見つめ続けた綿矢泉の話。
この映画は記憶できない彼女の「思い出」であるようにと、どこか霞みかかった雰囲気で撮られた映像が美しくて柔らかくて眩しい。光の使い方がすき。そしてどんなに辛いシーンでも雨が降らないのがすき。辛くたって世界は晴れるし美しい。彼が愛した世界を、自分を、これからも生きていくんだって彼を描く真織がずっと素敵です。
役者の話をするなら神谷を演じた「なにわ男子」道枝駿佑さんがもうもうもう美しくて瞳に感情載せるの上手くて「なに!!!!?!!?」って一瞬で好きになっちゃった。なにわ男子のYouTubeチャンネルを心の友にしてます。かわいい、すてき、言葉選びがすき、ありがとうございます……。
真織役の福本莉子さんずっっっとかわいいし不安を抱えながらも気丈に暮らす彼女のまっすぐな背筋を体現されててすごかったです。そして綿矢泉を演じた古川琴音さんマジで好きです……。琴音さんの芝居が本当に好き。ただ人間として2人を見つめ、ひとり十字架を背負い、その重みに耐えきれなくなるまでの心の機微がスクリーン超えて強く伝わる、毎回めちゃくちゃに揺さぶられてしまう。
この先も何度も取り出して観直すんだろうな、そう思う映画でした。大好き。
2本目。

Adoさん演じるウタの歌が本当に良かった。8月は通勤中もランニング中もウタの楽曲を聴いていました。
ライブシーンのキラキラがほんとに眩しくて心の中でずっとペンラ降ってた。あと名塚さんの豹変演技にもペンラ降ってた。
内容については、ルフィが「助けて」って言ってもらえなかった場合のお話なのかなって感じがしました。ONE PIECEの世界にはこれという正義が存在しないから、ルフィがどうするかというのも目の前の彼/彼女がどうしたいかに依るところが大きく……ウタはクソみたいな世界と罪悪感から〝逃げたい〟と願ったけれど、ルフィに助けて欲しいわけじゃなかった。だからルフィにはトットムジカを止める以上のことはできなかったんだなあって思っています。
一味じゃないけど一味みたいなローさん、ベポが小さくなってガチショック受けてるローさん、とにかくかっこいいコビーさん(黒服最高!?)、オタク冥利に尽きてるバルトロメオ、戦いウキウキゾロさん、ここ数年で一番喋るシャンクスなどなど、ONE PIECEを長年好きだったものとして楽しいところもたくさんあって満足。25周年らしくエンドロールで今までルフィが出会ってきた人たちみんな出てきたのも良かったですね。
3本目。

2002年 水の都の護神 ラティアスとラティオス 同時上映・ピカピカ星空キャンプ | ポケモン映画 プレイバック・ザ・ヒストリー
夏はポケモン!
水の都の追いかけっこシーンを映画館で見たい〜〜って観に行って星空キャンプでめちゃくちゃにされた(どうして……)ずっとかわいいじゃん!!!! なに!!!?!!?
水の都も相変わらず良かった。あの劇伴を映画館で聞けて嬉しかったです。自己犠牲ウア〜!!!!!!って暴れてしまうのはもう仕方ないですね。お兄ちゃん……。
4本目。

7.1chの弦音、すげーーってなりました。1発目が鮮烈……。あとやっぱ京アニのアニメーションは美しいね。
内容としてはモロ総集編だったのですが、好きなシーンだけギュッと観れる感じいいなって思いました。1月の続編の前に配信来たら観なおしたいです。
【おうちで観た映画】
・ララランド
ここから下は読まなくて大丈夫な一般オタク女性の近況。
①ランニングにハマりました。

もともと週1くらいは走ってたんですが。
「Run trip」というアプリでタイムと距離を記録するようになって、意外と自分が走れることに気づき楽しくなっちゃった。ハマるとズブズブなのはもう性分なので仕方がない。
距離を伸ばしたり、少し短い距離でもタイムを縮めてみたり、都度目標を決めて走るのが本当に楽しいです。
でもこのまま毎日走ってると身体には良くない気がするので、9月は走るための筋肉をつける筋トレを重ねたいなと思っています💪 いつかマラソン大会も出てみたい。
余談ですが、家の最寄り着いてめちゃくちゃ雨降ってた日にウワーーーー!って家まで走っても息が切れなくなってました。順調につよくなってる。
②すみだ水族館の年パス最高。

週末に所用で墨田区に寄ることが多く、ついでにすみだ水族館行ったりしてました。ペンギン大好き! どの子も好きに過ごしててほんとにかわいい〜〜
すみだ水族館はもうどのエリアもすきなんですが、くらげシャーレの、水が上がってくるところにたまたま居合わせたくらげが「うわ〜〜」って無抵抗に水面まで上がってくるのが本当にすきです。ひとりで行くから永遠に見ていられる。
③うまいもの食べました。
ランニングにハマって食べることへの罪悪感が消え去り、グルメな8月でした。

油そば!
挽肉と米のハンバーグ!
ビリヤニ!(ひそかにブーム)

俺流熟成塩ラーメン!

寿司と日本酒!
サイゼのラムステーキ!
ブツ切りマグロ丼!(マグロと米が7:3!)
これ以外にも色々食べてる。食べて動いていい1ヶ月でした。人生かくありたい。
ケーキはTwitterタグ「#一生に食べるケーキを増やせ」から〜今月も相変わらず食べました🍰
④江戸東京たてもの園の夏まつり


特別夜間開園。風鈴が綺麗だったり、出店もたくさんだったりでとても楽しかったです。
なによりここに展示されているたてものたちが、現役のころのように灯りを灯したくさんのお客さんで溢れてるのが良すぎて……昭和の街にタイムスリップしたみたいな夜でした。
9月は遠征があるのでワクワクで過ごしています。本はもう少し読みたいかな。
8月月報:コンサート、漫画、小説編。
7月より涼しかったなという印象のなか、いつも通り家でオタクに勤しみ、いろいろなところに行きいろいろなものを食べ、観て、そんな1ヶ月。私生活はばたばたとしながらもオタク充実してました。
遠征は無し。東京で生演奏のコンサートを2本観ました。
その1本目。8/20・LALALAND THE STAGE。

大好きな映画をたくさんの人と一緒に、オーケストラを聞きながら……すっごくテンションが上がりました。アンコールのCity of Starジャズバンド版が良すぎ。サブスクでもなんでもいいから音源化してほしいです。
2本目。ディズニー・ワールド・ビート。

アドリブとスウィング満載のビッグバンドで奏でられるディズニー音楽の世界で、踊り出したくなるくらい楽しかったです。シンガーさんがパフォーマンスはちゃめちゃに上手くて、楽器たちと張り合い絡み合いセッションしてたのがカッコよかったです。『ドナルドのダンス大好き』のシネマコンサート、楽器としてバケツがちゃんと出てきたのグッと来ました。
漫画。一気読みしたのは1作品。

高校生で吃音症を抱える主人公カボが、ダンスのことを愛しダンスに愛される湾田さん(チョベリグキュート)とダンス部でダンスする話。ダンスを通しながら自己の話とか努力と才能の話をしたり。
読もう読もう〜って積読してたんですが、1巻読み始めたら止まらず8巻まで読みました。好きな味〜……
なんといってもダンスシーンの作画。彼らのダンスのエネルギーを可視化するようで、ただただ漫画に魅かれ飲み込まれる。ワンダンスの絵、ずっと見ていられる。疾走感。
あとはカボくんがどんどんどんどん主人公になってゆくのが良いです。タッパあるからダンスシーンでは迫力あってわわわわ!ってなる。彼の言葉も好き。手首も好き。秘め続けた本音と意思のある長身猫背の男は最高だぞ! そして湾田さんがほんまに可愛くて美しくて才能で殴ってくるので最高。ダンスシーンは正に鬼神でメロメロになります。
小説は4冊。

ちょっと変な家族と、そんなおうちで何者でもない時間を過ごす主人公「こと子」と、ボーイフレンドの話。ふしぎだけど悪くないなって感じの小説だった。江國さんの一人称のリズム、独特で楽しい。

第5回スクワッドジャム中編。安定感のある面白さでした。考え付かない作戦やギミックが散りばめられていて、そういうことかーー!!ってしてやられるのが楽しいですね。シャーリー、ピトさんのこと今回は仕留められてよかったね。あとやっぱり酒場のみんながわちゃわちゃ感想戦してるところが好き。

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後述の映画の原作。よかった。映画と違って一人称なので、登場人物たちの心情が言葉で刺さってくるのが好きです。

愛じゃないならこれは何/斜線堂 有紀 | 集英社 ― SHUEISHA ―
恋ってどろどろとして透明にきれいじゃないよ、でも狂気だからこそ無視できぬ輝きを秘めてるよ、そんな恋たちの小説。恋に人生を狂わされるひとたちの小説。
相手の好きなものを知ろうとすることに下心があった場合とかウワ〜〜!!!ってなっちゃった。あなたが好きだから知りたいだけで自分は好きじゃない、そんな好きじゃないものに自分の好きなものが汚染されてく感じ、気持ち悪くて最高な話でした。
あとは3人でいるために互いの恋心を牽制し合う話すごくよかったですね。キスするだけで好きになっちゃう、肉体に引っ張られた恋のどうしようもなさとか大好き。
これは読み直して今度深く語りたい短編集でした。短編集ってところも良い。
映画とお出かけはたくさんあるのでまたまとめ直します。
深夜バスの持ち物
- 携帯枕
- 着圧ソックス
- メガネ/コンタクト
- 財布とiPhone
- 充電コード(Lightning、USBtype-B)、コネクター、モバイルバッテリー
- 歯ブラシ
- 洗顔フォームと顔パック
- タオル、ハンカチ
- 化粧品
- 香水のアトマイザー
深夜バス乗るたび、毎回毎回何かしら忘れて困っているので、備忘録として。荷物を減らしたい気持ちはあります、最低限です、たぶん。
携帯枕
首〜肩をバスの揺れで殺さないため。頭がぶらぶらしなくなるので眠りも深くなります。空域入れて膨らませるタイプは100均一で売ってるので便利。畳めばカバンに小さく入るし。
着圧ソックス
あるのとないのとじゃ翌日のふくらはぎが違う。締め付けられていることによる安心感みたいなものもある。メディキュット使ってる。
メガネ/コンタクト
いつもどっちか忘れる。どっちも持ってきてね。コンタクトはワンデーを予備含め多めに入れとくこと。
財布とiPhone
この2つがあれば大抵なんとかなる。
充電コード(Lightning、USBtype-B)、コネクター、モバイルバッテリー
4点セット。全部欠かすな。モバイルバッテリーは充電しておくこと(電源のないバスに当たることもあるので)。
歯ブラシ
乗る前と乗ったあとにすぐ使いたい。コップがついてるタイプが便利。済ませられるなら最後の休憩で歯磨きしとくと到着してから慌てなくて済む。
洗顔フォームと顔パック
洗顔はサボると肌が荒れるので。化粧水乳液のボトルは持ってきてもいいけど邪魔だし液漏れが怖いから、パックを貼り付けて代わりとする。5分じっとできるならするし、無理なら手のひらで上から押して使います。
タオル、ハンカチ
荷物の量を考慮しつつ入るだけ入れる。洗顔でも手を洗うときでも使う。
化粧品
普段持ち歩かないので意外と忘れる。カバンにポーチが入ってるのを必ず確認すること。
香水のアトマイザー
これもよく忘れる。
たまごだけの天津飯
1/18
この歳になっても食べたことのないものは多く、つい先日まで、天津飯もそのひとつだった。
餃子を食べたいと初めて入った大阪王将のメニューに載っていた、まあるく焼かれた純なたまごにこれでもかととろとろの餡がかかった写真。見たことのない食べもの。なんだこれ美味しそう。
視線をほんの少しだけ下に滑らせれば、『天津飯』と名付けられている。
天津飯? 心のなかで首を傾げた。天津飯とは、カニやカニカマやグリンピースや椎茸がたまごに入っているものではなかっただろうか。
私はたまご好きだが、たまごであればなんでも許容するわけではなく、溶きたまごに何かを混ぜて焼いている料理があまり得意ではない。例えばふくさ焼き、スパニッシュオムレツ、具沢山の茶碗蒸しは苦手だ。だから、たまごにいろいろ入れて焼いたらしい天津飯はこれまで避けていた食べものだった。
しかしこの天津飯のたまごには、写真をみるかぎり何も含まれていない。そういえば具なしの茶碗蒸しは大好きだった、と思い当たる。頼んでみた。満足度保険として餃子もつけた。
運ばれてきた天津飯のたまごは、写真に負けないくらいまるかった。おそらく宇宙から見た地球の表面はこんな感じだろうといった、なだらかで壮大なまるさだった。れんげをそっと差し込んでみれば、どんなオムライスでも体験したことのないようなぷるぷるとしたたまごが切り離される。そうして空いた球体の隙間からは白いごはんがちょっぴり覗き、あっというまに餡が流れ込んで隠れてしまう。
れんげに乗ったひとかけのたまごに、ちょちょっと餡を絡ませて、口に運ぶ。それからんーって、喉奥で小さく叫んだ。どうして今まで食べてこなかったのだろうと、ただただ不思議に思うおいしさだった。餃子もおいしかったが、あんまり味を思い返せない。それだけ天津飯に対する驚きがまさった。
いや、でも。お会計を済ませて帰り道に考える。記憶のなかの、食わず嫌いしていた天津飯とは明らかに違う。酸っぱいって噂も聞いてたのだけれど、鶏ガラベースの醤油味でそんなことはなかった。
調べてみると、やっぱりメジャーな天津飯のたまごには、カニを筆頭にいろいろ混ざっているものらしい。餡にはケチャップが入っていて酸っぱいらしい。酸っぱくないレシピには〝関西風〟の表記がある。ただし関西風の天津飯にも、カニカマやらグリンピースやら椎茸やらが入っていたりする。
わからん。関西というか、大阪王将の天津飯がこうってことなのかな。世に作り手無数にいれば天津飯も無数なのかもしれない。カニが混ざっていたらおそらく食べられなかったと思うので、たまごだけの天津飯を生み出してくれた大阪王将にふらっと入ってみてよかったなあと思った。あのたまごはすごい。まるい。ふわふわでとろとろで、概念としておおきいのだ。
最近は家のフライパンで同じようなものが作れないかと挑戦しているけれど、これがどうしてなかなかうまくいかない。人生で天津飯もどきを食べた回数だけが、着々と積み上がっている。たまごの個数かな、油かな、手際かな。いつかあの地球みたいなたまごが焼けたらいいなあと思う。それから、もどきを重ねて感動があやふやにならないうちに、また大阪王将の天津飯を食べに行こうとも。
とくべつをとくべつにしないでみると楽しい
6/6
ケーキが好きだ。チョコレートケーキ、いちごタルトレモンタルトカスタードタルト、ニューヨークチーズケーキにスフレチーズケーキ、アップルパイ、シフォン、ショートケーキ……挙げればきりがない。
ケーキ屋さんで、彼らがショーケースにお行儀よく並んでいるさまはいつまででも見ていられる。時折「これが食べものなのか」と信じられなくなる。陳腐な言い方をするならうつくしいのだ。
同じ名前を持っていても、どのパティスリーで作られたかによって全く違うケーキになる。ショートケーキが受容する無数の解釈に惚れ惚れするし、シフォンの、どんな味であっても「シフォン」という型からは決して逸れない、可能性と縛りの共存に拍手したくなる。
ショーケースから選ばれ、自宅の食器の上でひとりぼっちになってなお、彼らのうつくしさは失われない。しかし頑なではない。ショーケースの中で光を浴び背筋を伸ばしていたそのときのまま、日常を過ごす場所に馴染んでくれる。口に入れれば上品に甘い。
喫茶店の、おしゃれなお皿の上で生クリームや粉砂糖に飾られて出てくるのも好きだ。お店のこだわりを感じられて、添えられた果物はさながら宝石で、いつもニコニコしてしまう。じっくり眺めてから、店内に投げれる音楽とともにフォークを突き立てる瞬間こそ至福と呼べる。
週に一回と言わなくても、月に三回はケーキを食べたくなってしまう。
それでも、頻繁に食べるようになったのはここ最近のことだ。
それまでの私にとってケーキとは、とくべつなものだった。誕生日や、お出かけした先や、なにかしらのお祝いで食べる、非日常だった。一年で食べるケーキは両手の指ですっぽり足りてしまうほどだったし、いざケーキを食べるのだとわかれば、うんうん悩んでとくべつな1ピースを選んだものである。一個500円近く、上等なものであればそれ以上の値段がする嗜好品は、客観的にも高級品だ。
しかし、手が届かないほど高いわけでもない。一人暮らしをするようになって気がついたけれど、自炊にしたってお弁当を買ったって、人間の一食がケーキとそれほど変わらない日はある。ケーキをご飯にしてしまうこともできるし(褒められたことではないけれど)、ちょっとした無駄遣いをやめたぶんはケーキになる。
それに、年々食べ放題が辛い。デザートのケーキに悠々とありつけない。歳を重ねるうちに、おうちでケーキを食べることも厳しくなり、そのうちひとくちを食べるのもしんどくなってしまうのかもしれないと予感させる私の弱々しい胃があった。若いうちにたくさん食べておかないと後悔してしまう気がする。
──と、まあ、ケーキがどうしても食べたい私は、以上を言い訳にして囁く。じゃあたまに食べてもいいんじゃない?
一連の話を聞いた友だちが素敵な言葉をくれた。一生に食べるケーキが増えるのはいいよね。
#一生に食べるケーキを増やせ pic.twitter.com/Cl9FU9zHla
— 七波 (@elic_nano) 2021年6月6日
かくして「#一生に食べるケーキを増やせ」のタグは生まれた。食べれば食べるほど一生に食べたケーキの数は増える。私の人生にはケーキが寄り添っている。いいじゃん、最高。
とくべつだったものを、とくべつの枠から外して、手元に置くようにしてみたのだ。ケーキは思い立ったときに食べていいものになった。
ケーキのとくべつ感もそりゃあ愛していたけれど、とくべつだからと切り離してしまうのは勿体無いことだったんだな、と今では思う。ケーキがたくさんある人生とほとんどない人生だったら、ある人生のほうが楽しい。少なくとも、私にとってはそうだ。
切り花も同じかもしれない。人からもらうべき、人に贈るべきとくべつなもの、買うなら花束で、と思っていたけれど、別に一本を自分のために買って飾るのだって自由だ。安い花瓶に、小銭で買った花を挿すようにしている。水を変えたり、水切りしたりする時間がうれしい。
とくべつなのだ、と遠ざけるより、とくべつじゃないしって、生活にしてしまうととても楽しい。もちろん、お金の余裕をどこかで作るからできることだけれど、ケーキや花に変わるなら、切り詰められるところを切り詰めるのも楽しいと思う。
とくべつをとくべつにしないことで、毎日繰り返す日常が、とくべつなものになるような気がしている。
というわけで、今月もケーキを食べます。