本の記憶

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 ずっと気になっていた、金曜、土曜、日曜だけしか開いていないカフェに行った。生活の匂いがする駅周辺から少し離れたところ、ほとんど森にみえる、若草山へ続く道の手前にぽつねんとあった。

 

 もともとは研究所があったらしいそこは木造の作りで、あまりひろくはなく、屋根の梁が剥き出しになっていた。空調が効いているのか、そとの燃えるような暑さに比べてひんやりとしていた。家具は時間の流れを感じさせるもので、決して新品のような美しさではないけれど、丁寧に手入れが施されているように感じた。

 まず運ばれてきた,緑色の硝子でつくられたグラスに心が躍る。メニューも、印刷と装丁が凝っていて、何を頼もうかはすぐに決めたのに、迷っているふりをして、ゆっくりゆっくり眺めてしまった。

 

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 アイスコーヒーが美味しい気温だったのでそれと、サンドイッチ。

 サンドイッチにはツナと卵と玉ねぎを混ぜたものと、生ハムと、野菜が挟まっていた。少し多めの胡椒が、ぴりりと効いていた。今度真似してみよう。

 

 私はこのカフェで、「52ヘルツのクジラたち」を読んだ。ここに来る前に、本屋で調達したものである。

 カフェでも街でもなんでも、まだ行ったことのない場所に行くときは、新品の本を持っていくようにしている。デートに行くために新しいワンピースを下ろすような心地で、はじめて触れる本の表紙を開くのだ。

 もちろん読み終わらなくていい。出先で、読み終われるほどの時間おなじ場所に立ちどまり、本を読むに足る静寂を得るのはむずかしい。

 私はただ、この本はこの場所で開いたのだという記憶を、本に染みつけておきたいのだ。

 そうすることで、その本を再読するたびに、その場所が私の中に浮かぶ。1ページ目を開いたときの、周りの景色や、気温、その日の目的、口にしたもの、他のお客さんの声、すべてがぶわりと思い返される。

 新しい本を代わり映えのない自室で開いてしまうなんて、なんともったいないことだろうと思う。新しいは一回しかない。だから、新しい場所に行くなら新しい本を手に入れるし、新しい本を手に入れたなら、まだ本を読んだことのない新しい場所に赴く。

 

 キノの旅を最近読み返しているのだが、初めて読んだのは、豊洲ららぽーとの、キッザニアの隣に入っていた大きな本屋だった。

 当時の私が豊洲ららぽーとに行く目的はキッザニアだった。キッザニアは入場まで待ち時間があって、その間はららぽーと内にいなければならないのだけれど、私はよくその本屋で時間を潰した。座って立ち読みができる場所があったからだ。

 そのときに手に取ったのがキノだった。あまりの衝撃に2巻まで読み、3巻は買って(一緒に1、2巻を買って帰るお小遣いの余裕はなかった)、キッザニアに入場してからの待ち時間で読んだのを強く覚えている。あのころ職業体験をしていた小さな子どもは、大きくなってなお、キノの旅を一番よく見える本棚に並べている。